江戸城総構え一周

今日は江戸城の総構え外周を一周してきました。西半分は外堀通りと一致しますが、外堀は大名屋敷などの武家地のエリアを囲う堀であり、銀座や日本橋などの町人の暮らす城下町を含めた最外郭の防御ラインが総構えになります。今回はどの程度江戸時代の遺構が残っているかを確認するのが目的です。

神田川隅田川の合流地点にある柳橋に到着。小ぶりですが立派な橋ですね。関東大震災の復興事業として昭和四年に完成した橋です。ここから神田川→外堀へと江戸城を反時計回りに一周します。

柳橋のある一帯は、昔は平右衛門河岸と呼ばれていたそうで、今でも多くの船宿の船溜まりとなっています。

江戸城三十六見附のなかで一番北東にある浅草見附跡に到着。ここは浅草観音を経て奥州街道へとつながる玄関口です。

ただ、浅草見附の遺構は殆どなく、辛うじて近くの高校の敷地の一角に、発掘で出てきた石垣の石が置いてあるだけでした。

さらに神田川を西に遡り万世橋に到着。向こうに昌平橋が見えます。中山道が通っていた筋違御門はこの二つの橋の間にありましたが、残念ながら江戸時代の痕跡は見つかりませんでした。

湯島聖堂横の相生坂を登ります。

水道橋が見えてきました。右奥に東京ドームホテルが見えますが、この後楽園は江戸時代の水戸藩邸跡で、総構えの外側には有事の際の軍事拠点とするべく御三家をはじめ有力親藩大名の屋敷が配置されています。

小石川見附跡に到着。小石川橋は明治時代、日本橋に常盤橋を造る際に石材を利用するために解体されたので、やはり痕跡は残っていません。

近くのガード下に石が散乱しているエリアがありました。説明板がなくネットにも情報がないので残念ながら見附跡なのか旧飯田町駅の残骸なのかが分かりませんでした。ここらへんはもう少し調べてみたいですね。

飯田橋駅近くの牛込見附跡。立派な石垣が残っていました。

牛込見附から先は外堀沿いに遊歩道が整備されています。散策にはちょうどいいですね。程なくして自転車立入禁止の表示が出てきたので車道に戻りました。

市谷見附付近から四谷方面を見ます。この一帯の外堀は国の史跡になっているのでコンクリートの多い都心にとっての憩いの場になっています。

ただ市谷見附の痕跡は、目立たないよう隅に置かれた石垣の石4つだけでした。

四ツ谷駅に到着。

四谷見附の石垣はしっかり残っていました。恐らく四谷見附を通る甲州街道がこの付近で鍵型に曲がっていたので国道20号のルートから若干外れていたのだと思います。

四谷見附から喰違見附までの間は外堀の内側に土塁がしっかり残っています。かなりの高さですね。土塁の上に遊歩道があるみたいですが、残念ながら自転車は通行不可です。

喰違見附。ここには石垣はなく、木戸がおかれていました。高い土塁と深い堀とで高低差があるので石垣は不要だったのでしょうか?

喰違見附から弁慶濠を見下ろしたところ。弁慶濠にはボートに乗った釣り人が沢山いました。

喰違見附の向かいにある赤坂離宮。下の写真は紀州藩の藩邸の門です。

赤坂見附に到着。ここも石垣が残っていました。近くには大名屋敷の石垣も残っています。

外堀通りを新橋方面に走ります。

この辺りは多くのビルが立ち並んでいますが、それでも江戸城の遺構が散在しています。下の写真は虎ノ門三井ビルの前にある、溜池の櫓台があった石垣です。中央左側に石垣が見えていますが、ここより左がかつての外堀です。

上の石垣の続きを文化庁の敷地内に見ることができます。

虎ノ門交差点をさらに東へと進みます。ちなみに江戸時代の外堀があったのは外堀通りの真下でなく、1ブロックだけ北側、下の写真の白いビルのある区画になります。

銀座に到着。ちなみにGINZA9のある場所は江戸時代の堀を埋め立てた跡地です。

銀座東七丁目交差点付近。近くの武家屋敷から出土した石材ですね。歩道橋下に展示していました。

さらに先に行くと踏切がありました。ここは廃線跡ですね。地域の住民の要望で踏切だけ保存しているそうです。

今日の終点の浜離宮に到着。まさしく城郭といってもいい構造ですね。ここは元々甲府松平家の藩邸で、東海道の抑えを任されていました。

帰りに神田に立ち寄り、昼食がてら「神田たまごけん」さんの牛すじカレーオムライスを食べました。さすがオムライス屋さんだけあって、ふわとろ卵がおいしいだけでなく、カレーもオムライスに合わせた味でおいしかったです。

今日の走行距離49.9km。東京も古地図と見比べながら廻ると普段と違う発見があって面白いですね。