白河〜氏家 東山道に沿って

ちょうど春休みの青春18きっぷの余りがあったので、昨日は以前から行きたいと考えていた白河から氏家まで東山道を走ってきました。JR東北本線新白河駅に到着。ここからスタートします。ちなみに東山道は奈良~平安時代と古い時代に造られた官道なので、江戸時代の五街道と違い現在ではかつてそこに道があった痕跡すら残っていない場合が殆どです。そのため、今回のルートは東山道跡を正確にトレースしているわけではありません。

東山道を走る前に、まずは白河小峰城に到着。しかし、自宅から白河までは電車でも時間がかかりますね。この時点で既に9時を回っていたので、白河小峰城は軽く外から見学したのみで次を急ぐことにします。

白河小峰城から5㎞ほど南に下ったところにある革籠原防塁跡。関ケ原合戦の直前に、進軍してくる徳川勢を迎え撃つために上杉景勝配下の直江兼続が築いた防塁です。実際には徳川勢は石田三成を討つために小山で反転したため、白河決戦は幻となりました。

籠原防塁に登ると、中学校の手前に盛り土が2つ並んでいるのが見えます。これは江戸時代の奥州街道の一里塚です。2つの塚がそのまま残っている珍しい例です。

さて、ここから東山道を走ります。江戸時代の奥州街道は現在の国道294号で、東山道奥州街道の東側にある県道76号沿いになります。下の写真に写っている二十三夜塔は二十三夜の月齢の時に行う月待行事のことです。

下の写真は「庄司戻しの桜」で、挙兵した源頼朝に合流すべく東山道を南下した源義経に従った信夫庄の庄司である佐藤兄弟の忠義に因んだ桜です。東山道沿いには義経に因んだ名所が点在しています。

白河の関に到着。東山道奈良時代の中央集権国家を維持するために造られた道路なので、律令制が衰退すると同時に白河の関も機能を失います。その後所在が分からなくなりましたが、江戸時代の白河藩松平定信の考証と最近の発掘調査の結果、かつてここに関所があったことが確定しました。

白河の関から南に行くと、追分明神があります。ここが奥州との国境になります。

追分明神を過ぎると、そこから南側は適度な下り坂になります。この界隈はのんびりした雰囲気でポタリングに最適ですね。五両沢という沢の水で体を冷やします。

下の写真は矢の根石。義経が鎌倉に向かう途中、配下の弁慶が矢を打ち立てた石だそうです。ちなみに実物は道路工事の際に埋もれてしまい、今あるのはレプリカです。

伊王野の道の駅に到着し、一休み。道の駅は自転車乗りにも重宝しますね。

伊王野からは国道294号を走ります。途中にあった「くらしの館」。ここは古民家を見学できる施設で、雛人形も飾ってありました。隣に物産センターがあります。

大田原市の黒羽の町に到着。下の写真の足利銀行黒羽支店は国登録の有形文化財です。

黒羽からさらに南に向かいますが、国道294号の西隣にひたすら一直線に伸びている道路を見つけました。東野鉄道の廃線跡のようですね。この区間は遺構があるわけではありませんが、真っすぐで走りやすい道なのでこっちを走ることにしました。

この道には、めずらしいロータリー交差点があります。日本語で環道と言うんですね。こんな標識は初めて見ました。

廃線跡は快適に走れた分、寄りたかった民俗資料館を通り越してしまい、佐良土の町にある法輪寺に到着。ここで一休みします。

法輪寺は天狗で有名だそうで、巨大な天狗のお面が祀ってありました。

下の写真は法輪寺西行桜。かつて西行法師が歌を詠んだ桜だそうです。

那須郡衙遺跡に到着。白河の関から真っすぐ南に伸びている東山道は、ここで南西に向きを変えます。

国道293号をさくら市の氏家方面に向かって走ります。やはり国道は走りやすいですね。

喜連川の道の駅の所で国道から逸れます。東山道はここから南に数キロ離れた所を通っていたようですが、トレースどころか付近にはまともな道がないため、今回は旧奥州街道のルートに出ます。下の写真の「勝善神」というのは仏教でいう馬頭観音のことだそうで、これがこの道が街道沿いであったことを示す証拠になります。

旧街道の道を走ると迂回する案内が出てきますが、、、そのまま直進します。

すると古街道の雰囲気満点の道と化します。この道、どうやら舗装はされているようなのですが、泥と落ち葉で覆われていてスリックタイヤだとまともに走れません。止むを得ず自転車を押しながら歩いて通りました。

そのあとは無事に氏家駅に到着。輪行で帰宅しました。

昨日の走行距離80.6km。チューブレスタイヤは乗り心地がいいですね。いつもなら距離を走ると肩が凝ってくるのに、今回は逆に走るほどに肩こりが解消していきました。やっぱ、タイヤからくる微振動がなくなると肩の筋肉がリラックスできるんですかねぇ。