坂東市ポタ 逆井城と、平将門の史跡

連休後半は暑い日が続きますね。報道でも暑熱順化が盛んに取り上げられていますが、今のうちにしっかり体を動かしておかないと夏が大変になります。というわけで、今日は長すぎない距離を走るルートとして茨城県坂東市を歴史ポタしてきました。坂東市には戦国時代の様式で復元された逆井城と、平将門の乱にまつわる史跡があります。

例によって中川沿いを北上します。川沿いの道は暑い日でも心地よく走れますね。

野田橋で江戸川に出てさらに北上。坂東市を目指します。

途中の宝珠花橋の付近に大小様々な凧が並んでいました。大凧あげ祭の準備をしているところですね。大凧が上がるところを見たかったのですが、残念。またの機会ということで、先を急ぎます。

関宿城に到着。辛うじて本丸の一部が堤防に埋もれずに残っているのですが、草が生い茂っていて中に入れませんでした。ここで江戸川の堤防を降りて、県道26号、県道17号を走り、今日の一つ目の目的地である逆井城を目指します。

逆井城に到着。下の写真は戦国時代の様式で復元された櫓と塀です。土壁でできた黄土色の城って見る機会が少ないですよね。他の曲輪では後北条氏特有の築城術である比高二重土塁が見れたりと、歴史好きなら一度は訪れたい場所です。

逆井城の裏から西仁連川に降りて、川沿いに南東方向に走ります。遠くに筑波山が見えますね。田園が広がるのどかな景色の中をポタします。

坂東郷土館ミューズで一休み。ここには平将門に関する展示があるので、坂東市一帯に散在している平将門に関する史跡をチェックします。

県道24号と県道20号で坂東市の中心部に向かいます。

県道のすぐ脇に平将門を祭神とする國王神社がありました。平将門は反乱の首謀者なので京の都から見れば逆賊ですが、当時の付近の農民からすれば自分たちを苦しい生活から救ってくれる英雄なんですよね。

國王神社の近くに、平将門が本拠地として館を構えた島広山の石井営所跡とされる場所があります。坂東市には平将門に関連する数々の史跡がありますが、どれも正確な場所については諸説があるようです。

石井という名前の元になった井戸の跡です。平将門が居館を建てる場所を探している時、老人が大石を地面に打ち込むと妙味の水が湧き出たという伝承があり、市町村合併前の岩井市という名前もこの井戸が由来だそうです。

石井営所跡から南に下ったところにある北山稲荷。ここが平将門終焉の地と言われるところです。入り口が分かりにくいですがファミリーマート坂東辺田店の裏手から入れます。

今日の二つ目の目的地、菅生沼の東にある神田山延命院に到着。

以前に都心の大手町にある平将門首塚を紹介しましたが、この延命院には胴体を祀る胴塚があります。ちなみに延命院のある場所は「神田山」という地名、、、そう、お茶の水にある神田明神は本来は首塚の所に建っていたんですよね。同じ「神田」がつくのは偶然でしょうか?

今日の走行距離は137.2km。積極的に、かつこまめに体を動かして、暑さに強い体にしたいですね。