5月12日(日)
この日は雨天のため中津市に連泊し、史跡めぐりのウォーキングに出かけました。
中津市には古い町並みが点在していて、その中の代表が下の写真の寺町です。奥に有名な赤壁が見えますね。寺町が城の防衛ラインの最外郭に位置しているのは、寺院は有事の際に兵員を集結することができる広い敷地を持っているからです。
下の写真は福澤諭吉旧居。かなり傷みが激しく、屋根も支柱を取り付けて支えていました。文化財の保全は難しいですね。付近の武家屋敷も劣化が激しくて止むを得ず取り壊したものもあるようです。ちなみにこの建物は諭吉が16歳から19歳の間に住んでいた場所で、それ以前に住んでいた家があったのは旧居前の駐車場横にある植え込みの辺りです。また、諭吉が生まれたのは父親の勤務の関係で赴任していた大阪の蔵屋敷です。
中津城。黒田如水の築城ですが、奥平氏の居城となっていた期間が一番長く、城内の資料館には奥平家にまつわる展示が多かったです。天下御免の白鳥の槍など歴史上興味深い品々が展示されていました。
天守から南方の山並みを見た所。翌日はこの山並みの中にある耶馬渓を走る予定です。
この日の雨は思ったよりも小降りだったので、特急のソニックに乗り、宇佐神宮まで足を延ばしました。中津から宇佐までの路線は各駅停車よりも特急の方が本数が多いので効率よく移動できます。
宇佐神宮に到着。この神社は色々と謎が多いことで知られています。
参道を登り始める手前にある弥勒寺跡。下の写真左側が山側のため高くなっていますね。この高い側が南大門のあった場所で、講堂跡は門よりも低い場所にありました。つまり、南大門の先は山側なので参拝客は西門や東門から入るか、南大門に回り込むかになります。この構造は宇佐神宮の上宮・下宮も同じで、敷地の南側が山なので北向きに参拝する配置にすればこうなってしまいます。
宇佐神宮の下宮。上宮と下宮は同じ神様を祀っていて、上宮が国家の神、下宮が民衆の神と位置付けられていたそうです。一ノ御殿に八幡大神、二ノ御殿に比売大神、三ノ御殿に神功皇后が祀られていますが、中央に位置しているのは二番目の神様の比売大神です。昔の資料がないためどうしてこうなっているかの理由が分からず、元々は八幡神でなく比売神を祭っていたのでは?とか、比売大神は卑弥呼のことでは?とか諸説が乱立しています。
宇佐神宮の上宮。現在は修復工事中ですが、とりあえず三つの神様には参拝できるようになっていました。ちなみに南門は階段が急こう配で危険なため閉鎖されていて、西大門から入ることになります。
菱形池の近くにある御霊水、八幡大神ご顕現の場所です。三つの井戸があり、柄杓で水を汲むことができますが飲用不可です。
流鏑馬の神事が行われる一直線の道です。左奥に木製の的がありますね。ちなみに一番奥に見えるのは大尾神社の鳥居で、道鏡事件があった時は八幡神は大尾神社に鎮座していました。
勅使街道に位置する呉橋。勅使祭などの特別な時しか扉は開かないそうです。
JRの駅から宇佐神宮までは路線バスを使いますが2時間に一本しかなく、時計とにらめっこしながらの参拝でした。